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以下の文章は去年の『BAYCAMP2013』の翌日にFacebookに書いたブログです。

冒頭の写真はLEF!!! CREW!!!のWSZ80が撮ってくれたんだけど、今見てもスゲぇ写真だなと思う。ずっと先の方まで人、人、人。

今日、その『BAYCAMP2014』への出演が発表されました。

Facebookだと読めない人もいるだろうって事でもう一度ここに貼っておきます。


2013.9.7 東扇島東公園
『BAYCAMP 2013』

1.Fury Of The Year
2.Minority Fight Song
3.The Lust Dance
4.General Headquarters
5.Star Soldier
6.LEF!!! DUB!!!


先に言っときたいんだけど、主催のAT FIELD青木さんには借りがある。

結成当初からBAYCAMPに誘ってくれてたのに、いつも都合が合わなくて出れなかった事。
俺の暴走で義理を欠いた事。

いつも間に入って助けてくれる前田さんへの借りは増えるばかりだ。

昨日、そのBAYCAMPにやっと出れた。

俺達みたいなアングラの極みみたいなバンドを呼んでくれたって事は、そこに『意味』を持たしたいんだろうなって思った。

LEF!!! CREW!!!と対になってるタイムテーブルに、青木さんからの沈黙のメッセージが読み取れた。

『台風の目』になれればそれでいいかなと。

到着して、会場を歩き回りながらそんな事を考えてた。

俺達にフェスの需要はあるのかな。完全に浮いてるしな。当たって砕けりゃいいか。
孤軍奮闘ならいつもの事。

The Smithsの『Thie Charming Man』が鳴り止んで、本番が始まった。

初めて見渡した客席は今まで見た事もない風景が広がってた。

人、人、人の海。

そんな状況だから当然『ATATAか〜、へぇ〜』って人も多数いただろうし、実際そうだっただろうとも思う。

俺自身、アウェーを感じるかと思いきや、これが信じられないくらい心地良かった。

1曲毎に観客が増えて行くのが目に見えて分かった。

曲を知らなくても、掲げたこの手に皆が手を掲げてくれた。

海が目の前の夜空の下、音楽の名の下に集まった人達のドアは、俺が思ってた以上に開け放たれていた。

言いたい事は全部言えた。

俺ってヤツはどうしても一言言わないと済まない性格で、楽しければ楽しい程その裏側をつい話したくなる。

何故、此処に至ったか。そしてこれから何処に行きたいのか。
今日という日に何を伝え残したいか。

そんな事言わなくてもきっと上手くやれるかも知れないけれど、それだけだとやっぱり背中が痒い。

目的は『何人ライブハウスに連れて帰れるか』。

そればかりを考えながら歌ってた。


さて、これからが本題。

メンバーの中で俺だけが最後に気付くんだけど、5曲目のスタソルで一本ギターの音が聴こえないなぁって思って、左を向いたらそこにいる筈の池谷が居なかった。

最初は『また調子に乗ってギター置いたままフロアで踊ってるのかな(笑)?』って思った。

後ろを振り返ったら事情を知ってる筈の他のメンバーも特に何事もなかった様に演奏してる。

ならとりあえずやるしかない。理由は後でいい。何かがあったんだろうって事だけは理解出来た。それより曲はとっくに始まってる。

完全燃焼出来たと思う。だけど俺だけ何処かキツネに摘まれた様な気分のまま、スタソルの大合唱が終わった。

そのままLEF!!! DUB!!!に流れ込んだ。

青木さんが求めたのはきっとLEF!!! CREW!!!との連携もあっただろう。その後のSIMI LABにバトンを繋ぐ為にも俺達にしか出来ない何か。流れを止めない何か。

普段はUHNELLYSのキム君が歌う『LEF!!! DUB!!!』

を俺が歌って、LEF!!! CREW!!!のユウスケ(WSZ80)にマイクをパスしてステージを降りた。


裏の救護室では池谷が倒れてた。

4曲目のGHQの途中から傍目にもフラフラとしていて、遂には倒れてしまったらしい。

看護士から血圧、血中酸素が安定してるのを聞いてとりあえずは安心した。

だけど痙攣があった事が心配された。

意識が戻り始め、朦朧としてる池谷に声を掛けた。

その目はまだ空を舞っていた。

救急車が到着し、付き添いとして大(従兄弟)が同乗して病院へ搬送された。

大から逐一報告を貰い、救急車の中で意識が戻った事を知らされた。

良かった。ただただ良かった。

俺の働く職場では、老人も多い為、同じ症状で簡単に亡くなってしまう事も多い。

俺達が思う以上に死ってのは意外と近いんだ。

着替えて車に機材を乗せて、LEF!!! CREW!!!とSIMI LABの異常な程の盛り上がりを見届けて、病院に向かった。

病院で再会した池谷は元気そうだった。腕に残る脱脂綿だけが痛々しかった。

血液検査もCTも撮ったらしいけど、明確な理由は分からないとの事。

東京へ向かう車の中で、彼なりに原因究明と謝罪を繰り返すんだけど俺はもうそんな事どうでも良かった。

とにかく生きてた。ステージに穴は開けなかった。我ながらいいステージだったとも思う。

俺達はミュージシャンだ。これはステージ以外で起こった事故じゃない。『ステージで起こった事』なんだ。

これ以上の名誉の負傷なんてないじゃないか。一生懸命演奏したんでしょう。強烈なライブを観せたくて頑張ったんでしょう。ならばそれを誰が責められようか。


明確な原因はこれから再検査を受け持つプロに任せよう。

二人を送り届けて俺も帰路に着いた。

川崎には戻らない事にした。

気持ちは意外とスッキリしていた。


以上が事の顛末で、俺がこの目で見た事全部。

他のメンバーはあの時の事をもっと克明に描写出来ると思う。

一夜明けて、池谷は元気みたいだ。


そうだ、昨日一番印象に残った事。

ライブ中、池谷がいなくなって、気付いたら池谷の位置に大が、大の位置にマーシーが立ってた。

サウスポーの健太がいつの間にか池谷のギターを弾いてた。

この夏、幸いにも色んなフェスに出して貰って、今までの活動では絶対共演出来なかった様なバンドと共演出来た。

それは否応なく様々な思考や課題を俺に与えた。

受け入れたいと思う事やそれでも譲れない事。

それぞれ受け取った事は違うと思う。

それでも明らかにバンドの『強度が増した』。

この夏、俺達にとって一番の変化はこれに尽きると思う。


最後に。

今回のBAYCAMPで、ああすれば良かったとか後悔の類いはないけどやり残した事はある。

クオリティは変わらなかったと胸を張りたいが、事実として最後まで6人でステージには立てなかった。

これだけはクソー!って思う。

だから来年のBAYCAMPにもう一度出たい。

今度こそ、PAの阿相を入れた7人全員で最高のドヤ顔かましてステージを降りたい。

その事があったからって訳じゃないけど、出れるなら来年も同じステージがいいな。

あそこがいい。DJがいて、ラッパーがいて、作りもライブハウスみたいだから。


青木さん。俺達みたいなバンドを呼んでくれてありがとうございました。凝りてなかったらまた呼んで下さい。

前田さん。いつもごめんなさい。これからもよろしくお願いします。

救護班の皆様。なんとか死なずに済みました。ありがとうございました。


外から見た昨日のレポートはココに詳しい
必要以上に褒め殺されてるけど、昨日は個人的にも自信があるから悪い気はしてない(笑)。

来てくれた人、来れなくて断片的な情報で心配してくれた人ありがとう。

全員元気です。

俺達はまだ音楽をやってていいみたいだ。