20代前半、バイトの合間にはいつもディスクユニオンへ。
休みの日には西新宿の輸入レコード屋へよく出掛けた。
まずNATに行って、カトマン氏のあの独特なレコードの説明書きに心躍らせて、宿レコ〜VINYL〜ALL MAN〜ラフトレと来た道を戻る。
途中、エアーズで海賊版のライブビデオも買ったな。
まだネットが普及してなかった時代の話。
『EMO』と呼ばれる音楽にすっかり取り憑かれてた。
手にするレコード、そのすべてが新鮮だった。
そして出会うバンド全てが清く貧しく『INDEPENDENT』だった。
この音楽に夢中だった。ホントに夢中だった。
死ぬまでこういうバンドをやるんだろうなって思った。
少なくとも横浜でなら、俺が一番『EMO』に詳しい自信があった。
あの懐かしいPENFOLDが来日する為に再結成した。
運が良くてツアーファイナルの前座に使って貰えた。
彼等を日本に呼んだのも『あの頃のEMO KIDS』だったホントに普通の一般人2人。
あの頃と違うのは、2人が結婚して子供までいるって事だ。
仕事もあって生活もある。相当な無理をしただろう。
ライブハウスのブッキングや共演者集め。
この歳になって、一から全部やるなんて思いもしなかっただろうな。
『自分達で出来る』。
この事を教えてくれたのはあの頃のバンドとライブハウスの先人達だ。
俺達の教科書に書いてある、『バンドの作り方』の殆どはこの時期に学んだと思う。
会場には懐かしい連中が集まって、同窓会みたいだった。
STAPLEまで再結成するなんて思いもしなかった。
若いファンもいる。俺達から見たら甥っ子みたいな年齢差。
『音楽は時間や場所を超える』って誰かが言ってたな。
小さな世界の出来事だけど、俺もそう思うよ。
老若男女、PENFOLDで大声で歌ってボロボロ泣いてた。
いい夜だった。
少しだけ、俺も『あの頃の俺』に決着がつけれた気がしてホッとした。
『エモバンド』になりたくて、それまでの自分が何処か恥ずかしくて、いち早く同じ目線で見られたくて、自分達で8cmのCDを作って、ライブを企画した。無我夢中だった。
今に至る仲間の殆どが、その頃に出会った連中なんだ。
林夫妻、ホントにお疲れ様。
今回、一番感動したのは貴方達の『奔走する姿』でした。
これからの俺達が何を返せるか分からないけど、また手伝える事があれば言って下さい。
2人が意図しなくても、この撒かれた種は、誰かにとっての花となるだろう。
過去があって今がある。
やっと過去が愛せる様になって来た。
俺にとっての『山場』をまた一つ越えれた。
目に映るのは未来。
いつかまた再会出来る事を楽しみに。
進もう。
その未来は過去に描いたモノ、そのものなんだ。