今は1月29日の丁度深夜12時を過ぎた頃。誤字脱字をチェックしたら、明日にでもアップしようと思う。

あれからもう10日経ったのか。先週の今頃は最終日のライブが終わって、FEVERのステージで念願だった記念写真を撮って貰っている頃。今頃、彼等はスウェーデンでいつも通り父親に戻って、俺達みたいに仕事してたりするんだろうな。

ここまでの経緯は以前、このブログに書いた。

何から書こう。自慢話にならなければいいんだけど。ただ、いつか俺がいなくなったとして、何処かに書き残しておけば、きっと誰かの役に立つかも知れない。誰かが誰かに同じ事をしたいと思った時に。

そう願って書いてみる。だから細かくなるし、長くなるよ。良かったら最後までお付き合いを。

2019年1月19日から1月22日まで。俺はSTARMARKETのローディーだった。

1月17日木曜日。午前中で仕事を終わらせ、THISTIMEのスタッフとTOY GUN RECORDSの創君と共に大阪へ向かった。新東名の夕暮れがとても綺麗で、いつも後部座席にはバンドのメンバーが乗ってるんだけど、今日は俺達、裏方の3人だけ。明日はここにSTARMARKETとPAのペレを乗せる。3人で明日からの事を話し合った。途中でヒッチハイカーを拾ったから正確には4人か。

大阪に着いて、FLAKE RECORDSに寄ってから、ダワさんに教えて貰ったお店に創君と行った。お酒を飲みながら、色んな話をした。昨日までの事や、これからの事。お互い今日まで色々あった。ホテルに帰ってすぐに寝た。明日から忙しくなる。

1月18日金曜日。ロビーに集合して、関西国際空港に向かった。途中で飛行機の到着時間が早まっている事を知って、俺達は道を急いだ。
空港に着いて、到着出口の一番近い場所に車を停めて、2人には入国ゲートに彼等を迎えに行って貰った。俺は車の中で待機していた。今にして思えば短い時間だったんだろうけど、とても長い時間だった。どんな顔して出迎えればいいのか。何しろ17年間、ずっと待っていた。気を抜くと感情が溢れ出しそうだったから、気丈に努めた。

到着出口から彼等が出て来るのが見えた。出口の前で、日本での一枚目となる写真を撮っている。それを遠目に見ながら、車の前で吐きそうなくらい緊張していた。そして彼等が荷物を抱えてやって来た。

『Nice to meet you again.』

聴き返されるくらいに、そして自分でも驚くくらいに俺の声は小さくて震えていた。上手く喋れないから、彼等の荷物をひたすら荷台に詰め込んだ。

当たり前だけど、17年振りの彼等は17年分の変貌を遂げていて、それでも雰囲気だけは当時そのままで、大らかで落ち着いている。信じられないけど後部座席にSTARMAMRKETが乗っている。深呼吸してから運転席に座り、ハンドルを握った。

ホテルのチェックインまでにはまだ時間があったから少し観光をしようと、大阪から30分で行ける奈良に向かった。今回だけは事故れない。その後4日間、運転中が一番緊張してたと思う。とにかく安全を第一に、彼等には安心して快適に移動して貰いたい。ファンから貰った、ATATAの機材車にいつも付けているお守りをこの車に括り付けた。絶対に事故だけは起こせない。

奈良の東大寺に着いた。以前、京都に訪れた事のあるボーカル/ギターのフレドリックもその大きさに驚いていた。他のメンバーも写真を撮りまくっている。俺は中学の修学旅行以来だったけど、久し振りに驚いた。こんなに大きかったっけ。大仏殿の前に集まって貰って記念写真を撮った。

緊張してまだ全然話せないから、日本で初めての食事は何がいいか創君に聞いて貰った。返って来た言葉は『ラーメン。いや、つけ麺が食べたい』。確か当時は全員ベジタリアンだって聞いた気がする。昨日、大阪に向かう車内で、食事について創君と話し合って困っていたところだった。了解、それなら大歓迎。

初めて一緒に食事をした。上手に箸を使いながら、彼等は満足そうにつけ麺を食べていた。今回のツアーの一番の楽しみは『食事』だって教えてくれたから、夕食は知り合いの焼肉屋さんに行こうと提案した。彼等から喝采が上がった。17年振りの彼等は食いしん坊になっていた。最高じゃないか。

外に出て、ボーカル/ベースのパトリックがラーメン屋さんの2階のスナックの看板の写真を撮っていた。他のメンバーが『これはこのお店の看板じゃないから、SNSにベストラーメンレストランってアップしちゃダメだよ』って言って全員で笑った。

ホテルに移動して、少し休んでから、THISTIMEのメインスタッフも合流して、BURLのタカ君が経営する『焼肉まるしま』に9人で向かった。肉が食べたいなら、ここの焼きしゃぶ風を一度は食べて貰わないと。残念ながらタカ君は不在だったけど、彼からの気遣いで肉寿司が振る舞われた。口に入れた途端、ギターのジェスパーの表情が蕩けた。ただ、全員ベジタリアンじゃないといっても、パトリックが食べられる固形の肉は魚までだから、それだけは最後まで気を使った。出来たらメンバー全員に日本での食事を楽しんで貰いたい。

そうだ、街角に並ぶジュースの自動販売機、コーヒーのベンディングマシーンに彼等は目を丸くしていた。スウェーデンには殆どないらしい。コーヒーをよく飲む彼等に買い方を手伝うのも俺達の仕事になった。そして彼等はいつも濃い目のコーヒーを好んだ。

北国生まれの彼等はとにかくお酒が強い。飲み始めると底なしで、まだまだ飲み足りないし、たこ焼きも食べてみたいとの事で、ダワさんに教えて貰った『蛸家』に案内した。この時点で俺はもうへべれけだったけど、彼等はまだほろ酔いで、このペースで一緒に飲んでいたら、これから4日間大変な事になる。まだまだ飲み足りない彼等をホテル近くのバーに案内してツアー前夜が終わった。明日から遂にツアーが始まる。一日緊張していたのか、沈む様に眠った。

1月19日土曜日。ツアー初日。大阪Pangea。共演はRENAとFOR A REASON。

集合時間に余裕があったから、梅田のディスクユニオンに行った。中古で探す棚はいつもまず『S』の欄。この17年間、レコード屋さんに行った時に必ずしていた事。もうSTARMARKETの中古CDとレコードは大阪にも残っていなかった。

ホテルのロビーに集合して、まずはFLAKE RECORDSに案内した。今回、再発盤とツアーで多大な協力をしてくれたお店の内の一つ。彼等を紹介すると、外国人のミュージシャンと接する機会が多いダワさんの表情が何処となく緊張している。やがて瞳が少年みたいに輝いていく。
以後、大阪で、名古屋で、東京で、沢山の同じ表情と瞳を俺は何度も見る事になる。

ホテルに忘れ物をしたジェスパーと歩いてホテルに戻りながら、パンゲアに向かった。向かう道中で、先月の12月15日にスウェーデンで行われた再結成ライブの話を聞いた。ギタートラブルがあって、一曲丸ごとジェスパーのギターの音が出なかったらしい。
実はそれまで悩んでいた。今日から裏方として、基本的にステージの上手に立つか、下手に立つかを。本来であれば、パトリックとフレドリックのアンプ2台が並んでいる上手側(向かって右側)に立つべきなんだろうけど、その話を聞いて決断出来た。俺はジェスパーのアンプがある下手側(左側)に立とう。スウェーデンと同じトラブルだけは絶対に起こさせない。笑って話してくれてるけど、本当は本人が一番悔やんでいるに決まっている。

パンゲアに着いて、久し振りに彼等の楽器を間近で見た。フレドリックの水色のテレキャスターデラックスは17年前より更に傷だらけになっていた。スウェーデンから持ち込んだ、パンゲアの壁を覆い尽くせる程の大きさのバックドロップ、そして『Sunday’s Worst Enemy』のあの少年が描かれたバスドラヘッド。先月のスウェーデンの再結成ライブではバスドラの中にライトを仕込んで、ライブ中に光らせていたから、ライトがあるかどうかドラムのポンタスに尋ねてみた。持って来てないけどなくてもいいよとの答えだった。すぐに買って来るから、スウェーデンと同じにさせて欲しいと頼んで、リハーサル後に電池式の携帯用ランタンを買いに走った。これでスウェーデンと同じステージに出来る。写真で見た、あの景色じゃなきゃどうしても嫌なんだ。

日本で最初のリハーサルが終わって、ランタンを買って会場に戻って、物販の準備をした。気が付くとオープン時間を迎えていた。

今日まで、集客がずっと気掛かりだった。事前に大阪と名古屋をソールドアウトさせる事が出来なかった。前売券と予約の数で相当数のお客さんが来てくれる事は分かっていたけど、それでもソールドさせられなかった事が悔しかった。今日まで、やれる事は全部やったけど、それでも努力が足りなかったんじゃないかって、その状況で今日を迎えた自分を恨んだ。

ところが、RENAのライブが終わって、FOR A REASONのライブが始まる頃には、前に詰めて欲しいっていうアナウンスをしないと人が入り切らない状況になっていた。そうだ、俺は忘れていた。大阪と名古屋のお客さんは当日券で来る人も多い。他の街と比べても桁違いに多いのだった。

蓋を開けてみたらパンゲアの収容人数ギリギリで、STARMARKETのツアー初日のライブの幕が上がった。

2曲目からダイバーが続出した。それは17年前の初来日では見られなかった光景だった。前回の心斎橋クアトロのライブの様子を今でも覚えているけど、同じバンドのライブとは思えない程の凄まじさだった。

ステージ袖でライブを観てる共演者の心底嬉しそうな表情を見て、今回、バンドとして帯同しないで本当に良かったと思った。きっと彼等の人生で、17年前の俺みたいに、今日という日が宝物になる日が来る。もっといえば、彼等が出てくれたお陰で、俺は裏方として大好きなバンドと一緒に過ごす事が出来ている。RENAのよっちゃんは昔からSTAMARKETが大好きで、前回の来日でもオファーがあったのにタイミングが合わず、涙を飲んだ人。FOR A REASONのメンバーは若い世代のSTARMARKET狂。喜びは出来るだけ多くの仲間と分かち合う方がいい。その方がずっといい。

今回、ツアーをブッキングするにあたって、どうしても大阪と名古屋のライブを週末にしたかった。これは決して悪い意味じゃないんだけど、いつも東京が優遇され過ぎていると思っていた。数少ない日程の中で、日本国中から観たい人が集まれる、考え得る限りの最大公約数が、大阪と名古屋を週末にする事だった。そうする事によって、東京が平日になって、漏れてしまう人がいる事も分かっていた。それには精一杯、頭を下げるつもりでいた。だけど東京以外でも成功させないと、これから日本にやってくる俺達の好きなバンドが東京以外の場所に行き難くなる。小さな世界の話だけど、今回のツアーを通して、俺は一つの成功例を作りたかった。

ライブが終わって、彼等のポスターやCDやレコードにサインを求める長蛇の列。終演後、一時間以上掛かって、彼等はやっと全てのファンにサインを書き終えた。

いつも通り、打ち上げはパンゲア近くの『新世界もつ鍋屋』で。開始時間はゆうに11時を過ぎていた。明日は移動もあるからと、早目に打ち上げを終えて、飲み足りない彼等を昨日と同じバーに案内してツアー初日が無事に終了した。

1月20日日曜日。ツアー二日目。名古屋R.A.D。共演はThe CoastguardsとMIRROR。

2nd encore
1.Chuck
2.Wither


朝の大阪はしとしとと雨が降っていた。昨日までずっと乾燥していたから、とにかくインフルエンザにだけはなりたくなくて、普段は雨が嫌なのに、今日だけは嬉しかった。そうだ、彼等は俺達日本人がいつもマスクをしている姿を不思議がっていた。マスクをしている人は全員風邪をひいてると思っていたらしい。そうじゃなくて予防なんだよって説明したんだけど、それでも不思議そうな顔で納得していた。

大阪から名古屋までの運転は一瞬だった。いつも通り。いつも通りだけど、いつも以上に集中して運転した。

名古屋に着いた。前回の初来日では実現しなかった、初の名古屋公演。リハーサルを終えて、全員で味噌カツを食べた。実は日本にもう5回も来ているPAのペレ(FIRESIDE)は、トンカツの食べ方を熟知していた。

食事を終えて、念願のstiffslackに案内した。事前に彼等にはこのお店だけで再発盤が250枚も売れた事を伝えていた。扉を開けると、オーナーの新川さんは当時、限定500枚しか作られなかった『Sunday’s Worst Enemy』のピクチャー盤を用意して待っていた。ここでも俺の知っているいつもの新川さんの顔じゃなかった。

今回、スペアのギターとベースを持って来れなかった彼等の為に、スペアは共演者にお願いしていた。チューニングはレギュラー。背の高い彼等の為にストラップは長めに。名古屋ではマーシャルが2台なかったから、ジェスパーのアンプはMIRRORの木元君のVOXを使わせて貰った。昨日と違う環境なのに、客席のスピーカーから出て来るバンドの音はとてもいい音がした。

オープン前に、パトリックの眼鏡のネジが昨日の大阪で緩んでしまっていた。これではライブ中に眼鏡が落ちる可能性がある。急遽、精密ドライバーが必要になって、街に出て買って帰って来た頃には既にオープン時間を過ぎていた。

名古屋も結局、入り口まで入り切らない程のファンで埋め尽くされていた。良かった。これからはもう来日ツアーの『名古屋飛ばし』ってやつをしなくていい。今日観に来てるバンドや、それをサポートする人達がこの光景を見れば、自信を持って好きなバンドの来日ツアーを組めるんじゃないかって。

今日は創君がThe Coastguardsで出演する。彼等の親友でもあり、今回の立役者。彼が再発盤を出そうとしなかったら、今回のツアーもなかった。彼等は親友が歌う姿をしっかりと見届けていた。MIRRORではフロアから歓声と爆笑が聴こえた。

そしてSTARMARKETの17年越しの初の名古屋公演が始まった。

昨日、彼等には大阪と名古屋のファンはクレイジーだよって伝えておいたから、今日も盛り上がるといいなと思っていたら、そんな心配は一切無用で、決して大きいとはいえないR.A.Dの中で、上も下も右も左も、何処を見てもファンが犇めき、揉みくちゃになっていた。ダイバーが落ちて来る最前列の真ん中、フレドリックの前には新川さんが陣取っていて、目を輝かせながら拳を上げてシンガロングしていた。フレドリックはstiffslackのTシャツを着ている。その光景を見ていたら、何故だか涙が止まらなくなって、裏方としてちゃんとしなきゃいけないのに、マスクの中で声を出して泣いた。

順調に進んでいたかと思われていたライブの後半、懸念していた事が起こった。ジェスパーのギターの弦が切れてしまった。スペアとして準備していた、MIRRORの森君のギターとすぐに交換し、森君と共に楽屋に戻り、弦の交換を頼んだ。俺はステージにすぐに戻った。弦が切れた事でライブが途切れる事はなかったけど、一刻も早く自分のギターで演奏させたい。弦が張られ、再びジェスパーのギターで演奏したのも束の間、今度は違う弦が切れてしまった。再びスペアに持ち替える。森君が再び弦を張って、曲間に再び本人に手渡した。ライブはもう殆ど終盤。これでもう大丈夫だろうと、俺と森君は深い安堵の溜め息をついた。

名古屋のファンがクレイジーだったのか、彼等が初の名古屋を気に入ったのか、ツアー初のダブルアンコールが起こった。ツアーに名古屋を組んで良かった。ここは3年半前にATATAでワンマンのフロアライブをやった場所。俺にとって思い出深い場所。そんなライブハウスに大好きなバンドを連れて来れた。本当に良かった。

昨日もそうだったけど、決して勝手に剥がさず、彼等のファンはセットリストを求めてステージの最前でじっと待ってくれていた。本当は早く物販を買いたかっただろうし、着替えたかっただろうけど、それでも礼儀正しく待っていてくれた。だから彼等の代わりにモニターから剥がしてすぐに渡した。

今日まで3日間、彼等と過ごしてみて、彼等は誰に対しても優しいけど、本当の意味でまだ心は開いてくれていない様にも感じていた。楽器をまとめ終えて、楽屋に戻るとポンタスに呼び止められた。『ミツヨシ、友達はみんな何て呼んでるの?その名前で呼びたい』。あだ名はナベさんだよと伝えた。再会して3日目に、俺は今までのMitsuyoshiから、Nabe、もしくはNabe Sanになった。

親愛なるフレドリックさん、パトリックさん、ジェスパーさん、ポンタスさん。呼び合って、みんなで笑った。

ようやく外に出て、今夜の打ち上げは焼肉だと彼等に告げると、また喝采が上がった。そしてこの辺から彼等との会話が何となく成立する様になっていた。それは決して俺の英語が上達した訳じゃなくて、単純に声を大きく、はっきりと話す様になっていたからだと思う。相変わらず単語しか話せてないし。ただ、単語だけでも仲間や友達だとその先の言葉が分かる様に、何となくやり取りがスムースに出来る様になった。

打ち上げが終わって、明日はロングドライブで集合も早いから、今日は深酒しないで欲しいと彼等に伝えた。彼等は一言、分かったと返してくれた。

1月21日月曜日。ツアー三日目。東京FEVER。共演はkuhとThe Firewood Project。

ホテルのフロントからの電話で目が覚めた。携帯の充電が切れていて、目覚ましが鳴らなかった。この時点で集合時間に15分遅刻していた。顔が青ざめて、一気に目が覚めた。急いで歯だけ磨いて、バッグに荷物を詰め込んで、すぐに車に向かった。昨日、今日はロングドライブだから深酒しないで欲しいなんて偉そうに言ったのに、それを言った当の本人が遅刻した。恥ずかしくて情けなくて、穴があったら入りたかった。もしもメンバーが怒っていたら、その場で舌を噛んで死のうと思った。だけど彼等は怒っていなかった。本当は怒っていたのかも知れないけど、そんな素振りは一切見せなかった。

名古屋から運転して、トイレ休憩に藤枝SAで停まった。近くに同時に停まった車の中から、MIRRORの面々が降りて来た。聞けば名古屋から追走していたらしい。そんな事も一切分からなかったくらいに、俺は自分の運転にだけ集中していた。
ジェスパーとパトリックに今日の遅刻の事を謝罪した。そんな事気にしなくていい、自分も遅れる時があると言ってくれた。終始一貫して彼等は他者に対して寛大だった。そして俺はそれを見習わなければならないと思った。

移動中、彼等の口からよく富士山の名前が上がっていた。創君から、自然に囲まれた国に住む彼等は、普段から山が好きだって事を教えられた。本当の富士山の姿を見るには高速を一旦降りなければならなかったけど、この分で行くとどうやらFEVERへの到着時間がギリギリになってしまいそうで、食事をしつつ、富士山が見えるSAを検索して、藤枝から程近い、新清水SAで食事と富士山を見る事にした。

食事をしながら、ここには歩いて行ける展望台がある事を説明した。フレドリックの『ハイキングをしよう』の言葉で、全員で富士山の見える展望台に向かった。天気も良かったし、富士山もよく見えた。メンバーみんな写真を撮りまくっていたりして楽しんでいた様子だったけど、許されるなら実際に富士山に登って欲しかった。今でもこれだけが唯一の心残りだったりする。

それからはノンストップで東京に向かった。そして予定時間ギリギリにFEVERに着いた。FEVERに着くと、今回東京公演だけレンタルしていた機材が大量に到着していた。アンプは勿論、ドラムも全て彼等の希望通りの機材が揃っていた。そして東京はプロのローディーであるチンネン君も手配されていた。良かった、東京は付け焼き刃のローディーの俺一人じゃ正直荷が重かった。急に気が楽になって、彼等に『Welcome to my home venue!』と伝えた。

リハが終わった後、何処か神妙な面持ちでパトリックから考え事をしたいから、プライベートな空間が近くにあるか聞かれた。それならホテルに戻るか、何処か部屋を借りるかを提案した。思慮深いパトリックの事だから、このFEVERの広い楽屋で、沢山の人がいる状況は落ち着かないのかなと思った。関係者に相談している最中、創君がパトリックによくよく確認したら、考え事をしたいんじゃなくて、楽屋にいる他のみんなに邪魔にならない様に声を出して歌の練習をしたいという意味だった。つまりTHINKINGではなくてSINGING。単純に俺の聞き間違えだった。猛烈に照れながら、それならFEVERの地下なら人も来ないし、声を出して歌の練習が出来るよと伝えた。そうだった、パトリックは紳士で何事にも真摯に向かい合う人だった。

オープンにはまだ時間があったから、コーヒー好きの彼等にRRにに行く事を薦めた。スウェーデンには『Fika』というコーヒーブレイクの文化があるのは知っていたけど、彼は本当によくコーヒーを飲んでいた。RRの2階で、背の大きい彼等があの小さい椅子に座っている姿が今も愛おしく記憶に残っている。彼等はライブ以外でもメンバー同士でよく過ごしていたし、とても仲が良かった。

今日は17年前に俺と一緒に全公演を観た、久保田君率いるkuhが出演する。同じく古い仲間のThe Firewood Projectも出る。チケットは事前にソールドアウトしている。場所はFEVER。不安要素は一切ない。ただ、今日は平日だし、スタート時間を遅く設定したのもあって、機材も多いから、転換を素早く終わらせる必要があった。本番中、上手側にはチンネン君に張り付いて貰う事にして、俺はこれまでと同じく、ジェスパーの側の下手側に付く事にした。

kuhからThe Firewood Projectを経由して渡されたバトンは、STARMARKETに無事に渡された。会場には遥々スウェーデンから観に来た彼等の家族も沢山いた。スウェーデンから遠く離れたここ日本で、沢山の観客を熱狂させている彼等を見て、家族はどんな気分だったのだろうか。きっと驚いたと思う。

大阪、名古屋のライブの様子がSNSで伝わっていたのか、東京一日目も、ファンも含めて最初から爆発する様なライブだった。17年の積年の想いは、こんなにも人を興奮させるのかって、本当は自分もそうなのに、ステージの袖でステージとフロアを交互に見ながら、一人で感慨深くなっていた。

今日も絶える事のないサインと記念撮影を待つ行列に、彼等は一つ一つ丁寧に応えていた。ファンとの交流は全て彼等が自発的に行った。明日もあるし、今日は打ち上げはないけれど、出演者、関係者とのフォトセッションが予定されていたから、時間はそんなに残されていなかった。実際に彼等からは疲労が見て取れた。だけど、最後の一人になるまで彼等はサインをし続けていた。

フレドリックに『今日も最高だった。だけど明日のSTARMARKETはきっともっと凄いよ』と伝えたら、『嬉しいけどプレッシャーを掛けないでくれよ』と頬を赤らめて、笑いながら答えてくれた。ステージとは相反して、一度ステージを降りると、彼等は徹底的に謙虚だったし、そして誠実だった。

一日が終わって、久保田君が運転する車で自宅に送って貰った。17年前はよく2人で一緒に帰った。あの頃、いつも好きなバンドの話に花を咲かせていた。その中で一番夢中になっていたバンドがSTARMARKETで、17年振りに一緒に共演する事になった。お互い歳を取って、何かが変わった様な気がするし、何も変わってない様な気がした。そして5日振りに我が家に帰って来た。

せっかく帰って来たのに、どうにも眠れなくて、今回の再結成が決まった時から今日までの事を思い出していた。このツアーも残すところ、あと一日になってしまっていた。そんな事を考えていたら、どうにも涙が止まらなくなってしまって、もう十分に酔っているのに、それをかき消す様に更にお酒を飲んで気絶する様に無理矢理眠った。

1月22日火曜日。ツアー最終日。東京FEVER。共演は俺達ATATA。

2nd encore
1.Hate You Still
2.Chuck


浅い睡眠のまま目が覚めた。時間はまだ十分にあったけど、これ以上眠れる気がしなかったから起きる事にした。
窓の外は晴れていた。晴れ晴れとしていた。今日はローディーじゃなくてあくまで共演者。いい演奏をしなきゃならないし、願わくば彼等に褒めて貰いたい。俺は今、ギターを弾く事を辞めて、ATATAってバンドをやってるんだよ。

伸び放題だった髭を剃って、早々に新代田へと向かった。

会場にはまだ誰も来ていなかった。ステージには昨日から彼等の楽器がそのままになっている。思わず写真を撮った。それが冒頭の写真。今日が最後なんだな。自分に言い聞かせる様に彼等の楽器をくまなく眺めた。

そういえばラーメンが大好きな彼等を『BASANOBA』に案内するのを忘れていた。グッと喉が鳴って、一人で食べに行った。美味しかったけど何だか寂しくて、あまり食べる事が出来なかった。

FEVERの広い楽屋でくつろいでいたら、一人、二人と裏方のみんながやって来た。続いて彼等もやって来た。追ってTHISTIMEから楽屋で寿司が振る舞われた。醤油とワサビをたっぷりつけて、この魚は何ていう名前なのかなんて創君に質問しながら、彼等はツアー最後の食事を楽しんだ。早目に着いたファンから差し入れられた静岡の団子もデザートに添えられた。満腹だったっていうのもあったけど、俺は彼等の食事している風景が見れるのが嬉しくて、寿司には殆ど手が付けられなかった。4日間を通して、俺は彼等の食事する光景を見るのがとても好きだった。

そうこうしてる内に、ATATAのメンバーも続々と到着した。俺と同じで、彼等の表情も何処となく緊張していた。

そろそろリハの時間が近付いた頃、創君から提案があった。日本のファンが『So Sad』を聴きたがっている。今日、何とか演奏出来ないか。『分かった、やってみよう』。この曲のボーカルを担当するパトリックがiPod片手に練習を始めた。俺はフレドリックに今回初めてのリクエストをした。『Cologneを演奏して欲しい』。久し振りのツアーだから、彼等にはやりたい様にやって欲しいと思っていたし、下手にリクエストして困らせたくもなかったから、最後までリクエストはしないつもりだったけど、最後にもう一度だけ『Cologne』が聴きたかった。理由は一つ。今回、このメンバーが初めて揃ってレコーディングされた4thアルバムの『Song Of Songs』からは一曲も演奏されなかった。だから、今回は初期セットだけど、この4人でレコーディングした曲がどうしても聴きたいと思った。それ以上に大阪と名古屋で初めて聴いて、ライブ映えするとてもいい曲だと思っていた。

リハーサルが始まって、終盤に全員での『So Sad』が演奏された。バッチリだった。関係者しかいない客席で、俺と創君は拳を突き上げた。

自分達のリハの時間になって、俺は初めての経験をした。歌っていて、歌詞が出て来ない。思い出してもすぐに歌詞が飛んでしまう。寝不足だからかなと思ったけど、多分違う。俺は極度の緊張をしてるのだと気付いた。

昨日まで、終演後の後片付けが終わるまではお酒を飲まない様にしていた。酔ったローディーなんて最悪だし、そもそもそれじゃ仕事にならない。楽屋に帰ってiPhoneで歌詞を確認しても、いざ声を出すと歌詞が出て来ない。覚悟を決めて、冷蔵庫からビールを一本取り出して、ゆっくりと飲んだ。まるで苦い薬みたいにチビチビと飲んだ。煙草を吸いながら、いつものストレッチをしてみたら、やっと歌詞が出て来る様になった。

その間、彼等は近所のLIKE A FOOL RECORDSに出向いていた。ここも今回、協力をしてくれたお店の一つ。cinema staffの辻君のお店。東名阪でツアーを組むにあたって、彼等の協力なしでは絶対に成功しなかったと思う。

遂にオープン時間を迎え、オンタイムで俺達のライブが始まった。記するのは止めとく。とにかくやるだけやった。少しだけ言うなら、いつもと違って後ろを振り向く必要はまったくなかった。まるで強固な楯を持った5人に守られている様な気分だった。前を見るとPA卓にはアソウ君が見える。何があっても大丈夫だと。俺はいつも通り歌って踊ればいい。横を見ると彼等が見ていた。だから前だけを見た。っていうか前しか見れなかった。いつも見てる顔馴染みのファンが精一杯盛り上げてくれた。俺はいつの間にかメンバーとファンが担ぐ神輿の上にいた。あっという間の40分だった。言いたかった事は全て言えた。

ATATAのみんなへ。この日に出させてくれてありがとう。お陰で大好きな彼等に歌う姿を再び見せる事が出来た。

今日は共演者だから、一切ローディーはしないって関係者には宣言していたけど、やっぱりどうしても気になって、着替えもせず、機材のセッティングをして、楽屋に戻った。俺はこれからフロアに行ってキッズに戻る。だから今日だけは側にいれないんだと、ジェスパーに謝った。彼は一言、OKとだけ言った。最後にもう一度ステージに戻って、祈る様な気持ちでランタンのスイッチを入れ、バスドラの中にしまった。この4日間、この行為は俺にとって、ある種の宗教的な儀式に近かった。ここから離れる以上、俺にはもう祈る事しか出来ない。

やっとフロアに行こうとした時、胸騒ぎがした。この4日間、彼等はセットリストを毎晩変えていた。毎回、メンバーで相談し合ってから、大体本番30分前にはジェスパーから清書されたマスターを受け取って、必要枚数をコピーして準備していた。それが今日だけは本番ギリギリまでセットリストが出来ていなかった。きっと深く考えての事だろうと、念の為にマスターを持ってステージに行き、さっきメンバーから預かったという、既にステージのモニターに貼られたセットリストと見比べてみた。1曲目が違う。1曲目と4曲目がギリギリで入れ替わっていた。マスターをすぐにコピーして、モニターの古い物と貼り替えた。本番は迫っている。今日まで、俺からメンバーを呼び寄せる事なんて決してなかったけど、初めて大声で全員を呼んだ。そして全員でセットリストを見ながら流れを確認した。『これが最終的なセットリスト。1曲目はNorth。間違えないで』。泣いても笑っても今日で最後。生意気にも俺は自分のバンドのメンバーに伝える様な口調で彼等に伝えていた。

昨日の上手側とは違う、今日は下手側のドアの前でSEを待つ彼等を見届けて、俺はフロアに降りて、パンパンのお客さんの邪魔にならない様に、バーカウンターの中で待つ久保田君の隣に行った。

SEが鳴った。隣には17年前と同じくSTARMARKET好きの親友がいる。一曲目の『North』が始まった。本国スウェーデンでの再結成ライブと、昨日までの3日間の一曲目であった『Count With Franction』じゃない。最終日に彼等は、自らの出身地を誇示する様な、スロースタートな曲を選んだ。二曲目の『Your Style』からは殆ど何も覚えてない。ただただ楽しかった。音のいいFEVERで、ペレが彼等の音を増幅して大音量で鳴らしている。セットリストも名曲のオンパレードだった。4日目にして初めて体験する事が出来た。客席はこんなに楽しかったのか!財布を楽屋に忘れたけど、一瞬も見逃したくなくて、久保田君に酒代を借りまくった。

声が枯れるまでシンガロングして、拳を掲げた。全部見届けた。全曲歌った。思い残す事はもう何もなかった。今更ながら気付いた。STARMARKETが帰って来たんだと。

名古屋以来にダブルアンコールが掛かった。正直いえば興奮してよく覚えていないけど、最後の『Chuck』から再びステージの袖で見届けて、楽屋には戻らずに、モニターのセットリストを剥がしてファンに手渡した。この仕事だけは最後まで俺がしたかった。

楽屋に戻って、全員とハグをした。17年前と同じく、ポンタスは俺がやっているバンドのTシャツを着て最終日のステージに上がってくれた。

お互いを讃え合って、抱擁して、そしてビールを酌み交わす。まるで『対バン』みたいに。俺はもう彼等の前で緊張しなくなっていた。

念願だったFEVERのステージを背景にして、初めて5人で一緒に写真を撮った。撮ってから、少し離れた打ち上げ会場に久保田君とタクシーで向かった。今日の打ち上げはもう極少数の関係者しかいない。もう彼等の隣の席を誰かに薦める必要はない。メンバーの間に座り、2枚持っていたファーストアルバムのレコードの一枚のビニールを破って、彼等にサインを貰った。FIRESIDEのレコードも出して、ペレにもサインを貰った。

THISTIMEの面々と創君がやっとリラックスしてお酒を飲んでいる。この4日間、本当は6日間。もっといえば彼等が来る事が決まってから5ヶ月間、俺達はいいチームだったと思う。俺はきっと何もしていない。ただ、彼等の音楽が大好きで、声が大きかっただけ。そしてよく喋っただけ。俺以外の誰か一人が欠けても成立しなかった。

THISTIME、創君。どうもありがとう。一緒にSTARMARKETを呼べて嬉しかった。THISTIMEの社長の藤澤さんは全箇所を自費で移動して観に来ていた。こういう人達と一緒にやれて本当に良かったと思う。

フレドリックさん。俺が着ていたTOPOのマウンテンジャケットをいいねって褒めてくれた、旅行とパタゴニアが好きなフレドリックさん。東京でTOPOが置いてあるお店を教えて欲しいと頼まれて、後で調べて教えると、翌日、まだ使っていなかったTOPOのバックパックを家から持って行って渡したら、声を上げて驚いてくれたフレドリックさん。毎晩、ライブを褒めると真っ赤な顔をして照れていたフレドリックさん。

パトリックさん。英語が聞き取れなくて聞き返すと、一言一句、ゆっくりと言い直してくれたパトリックさん。そんな俺なのに難しい話も沢山してくれたパトリックさん。ツアー中、熱心に日本語の練習をしていたパトリックさん。箸を使うのがこんなに上手になったよって見せてくれたパトリックさん。日本のあらゆる事に興味を持ってくれたパトリックさん。17年前、風邪をひいていて、日本をあまり楽しめなかったパトリックさん。

ジェスパーさん。ツアー中、一番側にいたジェスパーさん。時間を見つけるとよく街を一人で歩いていたジェスパーさん。初めて行ったFLAKE RECORDSからホテルの位置関係を完全に把握していたジェスパーさん。STARMARKETの楽器全般の責任者だったジェスパーさん。過去の音源の制作秘話を聞かせてくれたジェスパーさん。セットリストを毎晩手渡してくれたジェスパーさん。

ポンタスさん。弟みたいなポンタスさん。毎日、日本のファンにアピールする様に日本のハードコアバンドのTシャツに着替えていたポンタスさん。この17年間、バンドが止まっていた間も、ただ一人、現役のミュージシャンだったポンタスさん。今回の再結成のキーマンだったポンタスさん。あの時は18歳の少年だったのに、今やSTARMARKETというバンドを引っ張るリーダーになったポンタスさん。そう伝えたら本当に嬉しそうな顔をしたポンタスさん。

17年前、俺達はお互い若かった。だけど歳を取って、こうしてもう一度再会出来た。こんな未来が待っているなら、歳を取るのも悪くない。年長者のパトリックが『おっさんも最高だよ』って言って一緒に笑った。

明日にはスウェーデンに帰国するメンバーもいる。名残惜しいけど朝はもう近い。居酒屋の前で、もう一度ハグをして別れた。悲しくはなかった。何となくもう一度会える様な気がしたから。

彼等を見送って、朝方のカプセルホテルに飛び込んだ。俺はまた一人になった。昨日まで一人になると何度も泣いていたけど、涙はもう出なかった。

長くなった。そろそろ終わろう。思い出したらまた追記するつもり。

このブログをアップしたら、ローディーとしての俺の仕事も本当に終わる。

多分、こんな事をするのはこれが最初で最後なんだろうな。

もし、また同じ事をしようとする時は、それはきっと彼等がまた日本に帰って来る時だと思う。

誰かのブログで読んだけど、俺も彼等は『帰還』したんじゃなくて、再び『始動』したんだと思う。実際にライブを観てそう思った。このタイムマシンの行き先はきっと未来だと。

この4日間で俺は何度も見たんだ。大阪で、名古屋で、東京で。『Sunday’s Worst Enemy』のあの後ろ姿の少年が、こちらを振り向く瞬間を。

20年以上経って、俺だけのSTARMARKETが、やっと俺達のSTARMARKETになった気がする。そしてそれは今まで感じられなかった事なんだ。

2019年1月19日から1月22日まで。俺達は同じ日に同じ場所で同じ音楽を一緒に観て聴いた。

長い間待ち焦がれていた大好きなバンドを。

どうか忘れないで。

この4日間は俺達の宝物だ。一生の自慢だ。生きて行く為の合い言葉だ。

俺達はこの目でSTARMARKETを観たんだ。

“Carry on your decade will soon be back again.
Carry on there is nothing like a good friend.”


合計日数4日間。来場人数延べ約1,000人。俺達、日本人は彼等を愛し、彼等もまた日本を愛した。

いつかまた会いたいね。STARMARKETに。

読んでくれてありがとう。

Ok guys, time is up. I will carry on until that day comes again.

This is a message from me, a message I received (from you) 21 years ago.

I love you STARMARKET, at any time.

Carry on.