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メンバーとは旧知の仲である、松村佳崇司 a.k.a マッツンが俺達ATATAの配信用ファーストアルバム『TATAT』の全曲レビューをしてくれました(写真もそう)。

前情報は特に渡していなかったんだけど、歌詞について、彼なりに俺が言いたかった事や曲に置いたテーマを鋭く汲み取ってくれました。

とにかくまぁ読んでみて。面白いよ〜!



『奴らの過剰な愛情〜またはあなたは如何にして心配するのを止めてこれを愛するようになるか〜』


ここに赤を塗る、ここに青を塗る、ここに白と黒を混ぜる。

ここの線は細く、ここは太く、ここは何も描かない。

それが意図的ではないとしたら、それは表現物と呼べるのだろうか?

 

当然偶然の美学も存在するが、偶然を必然だと感じさせるには裏打ちされた技術が必要である。

そして美しき偶然を産むには見えない方程式が存在する。

だがその式は既に誰かが解いた公式ではなく、しかも解く事が課題でもない。

それがバンドであり、それが生身の人間が集まり表現する意味だ。

いくらテクノロジーが進歩しても、形態が変わっても、誰かの表現を欲し共有しようとする欲求が無くならないのがそれを証明している。

バンド名・作品名ともに記名性の低い抽象的な名前が冠せられた意味はこの作品を聴き終わった後に理解できるのではないだろうか。

何かを象徴したものでもなければ、何かを示唆したものでもない。

 

バンド名の由来は?

誰しもが気になる部分ではあるが、誰にとっても無意味な質問である。

正確には無意味ではなく、聴いた人・触れた人がそれぞれの意味を見出す器がこのバンド名でありこの作品名なのだ。

器はより大きい方が良いにきまってる。

逆説的にもの凄く明確に彼等の本質とスタンスを浮き彫りにさせているのがニクいところだ。

また、現在地との距離や現時点での到達点を測る材料として経歴の参照は有効だが、これもまた重要な事ではない。

ex-○○というのはあくまで文字の情報でしかなく、聴き終わった後にはそのくだらないレビューのリード文のようなものは忘れているだろう。


1.Ontologie

まずその示唆に富みながら覚悟めいたタイトルにドキッとさせられる。

どこか無常感のような地平に立ちながらも必ずその時は巡ってくるという喜びと、いやしかし知ってしまった諦観と戦う葛藤が生々しく疾走している。

全ての楽器、歌が心の隙間を埋めるかのごとくいきなり全開で鳴り響き、それが逆説的に焦燥感を煽る始まりの曲。

だが実は「始まりの曲」ではなく「もう始まっている」事を突きつけらている曲である。


2.Minority Fight Song

この曲の持つ印象は歌詞の最後のラインに集約されている。もうこれ以上書く事は無いぐらいこれに尽きる。

タイトルとその部分によって彼等のスタンスを表明しているとも言える。

パッと聴いただけでは陽性の光が降り注ぐような、端的に明るいなという感触かもしれないがここに流れているのは反骨心だ。

まさにスタイルではなく姿勢という意味でのパンクソング。


3.General Headquarters

 ã‚る年の、ある時期の、ある都市における疑問や欺瞞に対して明確に戦う意思が感じられる。

ミリタリー的な意味ではなく、過去のある時代と現在の奇妙な関連性を想起させるある意味では怖い内容。

怖い、という感情を抱くのは何も変わっていないし何も終わっていないからこそ。

そして非日常が実は日常の延長線上だったという事を改めて認識した時、何の意味も無いようなコーラスが心の叫びとして聴こえてくる。


4.Star Soldier

抗えない状況に抗う戦士がふと夜空を見上げた時、心の本当の真ん中にある感情を吐露する一大叙事詩。

大きな愛情を余す事無く描く演奏に身を委ねていると、どこか透き通った静寂感の中に佇んでいるような錯覚にも陥る。

他の楽曲同様、音の密度は非常に濃いにも関わらずだ。

冬は寒いからこそ温かさ・暖かさを感じる。もしそれが分からないというならそれは単に若さの証左だ。


5.Fury Of The Year

苛立ちと衝動がそのまま転がる曲が世に放った1曲目というのが実に彼等らしい。

もし彼等を知らない人にまず1曲聴かせるならこの曲を選ぶ。

全編にわたり如何様にも深読み出来る歌詞だが、全員がシンガロングするパートは痛快過ぎて笑ってしまう。

しかし、このような感想文を書く事に対して強烈なアンチテーゼを唱えているようでもあり改めて戦慄した。


6.The Lust Dance

男が抱える劣情と虚飾が絡み合う様をダンスになぞらえる事によって、より孤独感を浮き彫りにさせる男という性にとって切な過ぎる曲。

ある欲望の中で踊っていたのか、あるいは踊らされていたのか、とにかく今は一緒に踊る対象はここにはいない。

求愛のダンスは他者から見ã‚
Œã°å®Ÿã«æ»‘稽なのである。

歌詞の冒頭でダブルミーニング以上の意味を夢想させ、広がる様なコーラス部分が喪失感を一層際立たせる。


7.Recito

書いては消し書いては消し、消そうとはするが頭の中で鳴り響く合図のような音が消えずに反響している。

歩いても歩いても辿り着かない、または気付いたら同じ所を廻っている様な感覚になる途方も無い日常を描き、本作品の中で最も陰の匂いを漂わせている。

重い足取りが早足になりやがて駆け足になるが、言い古されたくだらない言葉で表現するなら、終わらない日常がまだここにあるのだという事を印象づけるラストの余韻がいつまでも残る。


8.Brass And Nickel

 èª°ã—もが抱くあの日の煌めきやくすんだ残像が焼き付けられた心のアルバムを捲る作業のようだ。

みんな見てきた景色は違うはずなのに共通する憧憬が浮かび上がっている。

でもこの音の瑞々しさはなんなんだろう。地面に跳ね返る水滴1つ1つに光が乱反射してあらゆる方向に伸びている。

全ての楽器が極限までかき鳴らされ、打ち鳴らされるタムの音は遠雷か大地の鼓動ように響き、この祝祭は最高潮に達する。

 


この作品は一見でたらめに絵の具をぶつけたように見えるかもしれないが、実は色とりどりのグラデーションを成している。

それは見る角度、その時の気持ちによって色相も濃度も変える。

喜怒哀楽の感情が分かりやすい区切りでグラデーションになっていないのと同じだ。

そして喜怒哀楽とはそれぞれがそれぞれを補完し合い、4つ以外の意味をも内包している。

もしも、面倒くさいから喜怒哀楽をまとめた上位互換の言葉を据えるとしたら、やはりそれは愛で、それはこの作品の通奏低音でもある。

 

改めて、ATATAとは過剰なバンドだ。

音源も活動も言動も全てが情報過多だ。

それは結成当時から追いかけている人も、この作品で初めて触れる人も共通して抱くイメージだろう。

古今東西問わず、何かを人前で発表している人にとって最も欲しているものはリアクションではないだろうか。

また、それは人が人と生きている中で避けて通れない承認欲求とも言える。

もちろん人それぞれそのベクトルは違うし、清濁、正悪の価値観は当然違うが、求めるという根源的な部分ではいくら格好つけたって隠せない。

 

ではどうすればその反応が得られるのか。

その1つの答えがこのバンドとこの作品で表出している。

過去ではなく現在を生きる表現者が唯一出来ること。

気付いていても出来ない事。

 

それを彼等は色鮮やかにやってのけている。

2012年4月28日
松村佳崇司 (NO MEMORIES)