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怒濤のライブ週間が過ぎ去った。 

店のスタッフ、スゴウデの共演者達、お越し下さった皆様、そしてバンドのメンバーにまずは御礼申し上げます。 

 

今僕はこのような演奏の機会に恵まれており、 

また30歳を迎えそこそこドラムの事がわかり始め、メガンテドラマーとして成熟の時を迎えているような気がしています。ありがたい事です。 

 

成熟するにつれてドラムと音楽に対するモチベーションが少しづつ変化しています。 

20代半ば位までは音楽とドラムが全てであり、朝ごはん食べながらウェックルのビデオをみて、夜ごはん食べながらアースキンのビデオを見る、まあドラムキッズしていました。 

今では毎日枕を練習台に、1時間ばかし基礎打ちの練習をするときを除いて、ドラム以外の事に忙殺されています。 

 

オーバー30というのはバンドマンとして鬼門であります。 

結婚、出産、就職、起業、etc 

様々なきっかけが訪れる頃合いです。 

僕の友人達の多くも30前後で楽器を置き、新たな人生にチャレンジしていきました。 

 

「軟弱者が!」と若い頃は思ってました。 

若いってコワイ。 

今では音楽に区切りをつけた友人たちに、 

お疲れ様、新しい人生も頑張れよ、と。 

それに付きます。 

 

一方でまだ楽器と音楽に執着している自分に対して、悶々とした思いを抱えています。 

が、ここにきて、少しスッキリしたんで忘れないうちに書いとこうかなと思います。 

 

モチベーションの話に戻ります。 

20代半ばまではガムシャラだった。 

今はどうだ。 

あの頃程、自分はひたむきではない。 

状況がそうさせてるとはいえ、それもひっくるめて。(MOROHAのライブを見て気付きました) 

あの頃のようなテクニックの向上は望めまい。 

見に行くライブの本数も随分減った。 

新しい若い音楽に反応し辛くなってきた。 

会社に入って、社会にリンクする事の力強さを知ってしまった。 

今の正直な思いを列挙すると、音楽を続ける事に対して後ろ向きな要因しか出てこない。 

 

ただドラムを前にすると、 

今も10代の頃も気持ちは変わらない。 

この心の声が何を意味するのか。 

 

厨二病の奇形だと思っていたのですが、どうもそれだけでは無い様です。 

 

偉大なミュージシャンが立て続けに亡くなっている。 

ザ・バンドのレヴォン。 

ドラゴンアッシュの馬場さん。 

そして先日、Beastie BoysのMCAが。 

 

僕らの世代が思春期の頃、音楽を教えてくれた先輩方。 

悲しいが、僕らより先に亡くなるのは自然な事だ。 

それよりも、彼らの音楽をダイレクトに受けた僕らには義務がある。 

後ろに向って音を鳴らし続ける責任がある。 

 

経済、社会、政治の観点から、AKBとKARAがいればほとんど事足りるのかもしれない。 

ももいろクローバーZとか、僕も正直好きだったりする。 

僕は仕事に専念した方が余程社会の為だろう。 

 

ただ僕らのような存在が全国のライブハウスで音を鳴らす事をやめてしまったら、 

ビースティが、ドラゴンアッシュが、ニルヴァーナが、サウンドガーデンが、フィッシュボーンが、その他多くのミュージシャンが届けてくれたものが途絶えてしまう。 

 

今の自分が笑われるのは一向に構わない。 

僕も自分で笑っちまう。 

しかし命をかけた先輩達の音楽が軽んじられ、なくなってしまう事など到底受け入れられない。絶対に許せん。 

 

このような思いに、「20代を使い切ってしまったヤベえひくにひけねえ」というしょーもない意地がプラスされて、今日もスティックを握っているようですどうやら。 

 

携帯から打ってるんで誤字脱字や内容の散らかりは悪しからず、と
いうことで。 

またライブハウスでお会いしましょう。


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